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デザイン×農作物のコラボで新たな事業創出へ!

後に夫となる彼(当時まだ結婚していないため、夫ではなく彼と表記)がやっていたデザイン会社で「新たに、ものづくり部門をつくろう」という話が浮上したのは、2011年の1月。

幼い頃から、お父さんが展覧会に出品する菊を育てているのを横でじっと見ていたり、昔から「育てる」ということに興味があった彼は「農業部門をやってみたい」と提案。

とはいえ、農業をやっている人はまわりに誰もおらず。
どこから、何を始めたらいいのか。


2011年2月、とりあえず本やインターネットで気になる農家を検索し、北関東から四国まで訪ねる旅に出た。

そんな中、2011年3月11日、東北の震災が起きる。

その日東京で働いていた私は、田町にあった職場のビルの5階で揺れを感じた。ガタガタ揺れるビル。
おさまらず強くなってくる揺れ。

その瞬間、私の脳内では忘れていた、10年以上も前の阪神大震災の記憶がよみがえってきた。

揺れる大地。
崩れて一階部分がなくベランダが一階になっている建物。
見上げると火事でほのかに赤く見える空。

「もぐれ!」

オフィスの周りの人が自分の机の下に隠れていく。
私も机の下に入ろうとするけれど
「今ひとりで隠れたら、ひとりで死ぬのかもしれない」
そう思うと足が止まってしまう。

見かねた同僚が、自分の机の下に引き寄せてくれた。

一方、彼はその日デザインの仕事があったため、農業の修行先を探す旅から一時的に東京に戻ってきていた。

天王洲アイル駅で東京モノレールに乗っているとモノレールがゆりかごのように揺れたという。

携帯電話が不通になり、ネット電話のアプリを使い、何とか彼と連絡を取れ渋谷のビックカメラ前で合流。

ビックカメラの周りは、人が四方八方から集まっていた。
そこから自宅まで4時間。
歩いて帰った。

行くコンビニ、行くコンビニ、空っぽ。

なんとか買えた納豆巻きをほうばりながら大きなビルの工事現場の前を歩いた時、今揺れが来てこの鉄骨の下敷きになったら、納豆巻きをにぎった状態で発見されるだろう。

「よっぽど納豆巻きが好きだったんだねと思われるかな」と思いながら通り過ぎたのを覚えている。

揺れが来るたびに当時を思い出し怖がる私とは逆に、彼は「阪神大震災を経験したからこそ、なるようにしかならないと思える」と言って揺れが来ても、動じなかった。

同じ体験をしていても、その経験の消化のされ方は人それぞれなのだ。

しかしそのひと月後、揺れが怖い私が東京に一人残り、彼は農業修行先へ旅立って行くのだった。

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