〜新妻、食材選択の自由を奪われるの巻〜
農業をすることは決めていたが、何を作るかを決めていなかった夫。
神戸で農業をすると決まった時「ORGANIC」「KOBE」「HARB」この3つが頭に浮かんだ。
「これは何とも女性受けする、美しすぎるキーワード!商売の基本は女性の顧客をいかにつけるかだ」
と胸を熱くし我が家は、ハーブ農家もりたんぼを目指すことになった。
ちなみに「もりたんぼ」というネーミングは「農園名って何とかFARMとか〇〇農園が多いのは何でなんやろ?一般企業みたいにもっと自由に農園名つけたらええのに。独立した時は、そんな屋号にしたいな」と考えていた研修中の夫。
そんな時、師匠が「森田守って、森と田んぼを守る人やんか。農業やるために生まれてきたような名前やな、羨ましいわ。今日から、もりたんって呼ぶわ」とつけてくれたあだ名。
そこから「農業やるならいつか米も作ろう。その時は、もりたんぼ守米(もりたんぼマモルマイ)というネーミングで売ったら面白い。そうや、もりたんぼや!」と決まったのだった。
そして自分の誕生日が「7月8日!ナッパの日や!」ということに気づく。
「これはもう農業するために生まれてきたんや!」と鍬(くわ)を握りしめながら、またもや胸を熱くする夫だった。
無限にできるハーブ、カオスになる畑
さて、いざハーブ農園へ!ということで、バジル、フェンネル ディル アーティチョーク タイム ルッコラ レモングラス コリアンダー、ミント、タイムなどなど、片っ端からハーブに手を出す。
しかしこのハーブ農園計画は需要と供給のバランス、流通の問題に直面することになった。
中には栽培が難しいものもあったが、ハーブは基本的にはよく育った。
そして無限にでき、あっという間に畑の一角がハーブの薮と化した。
しかし薮と戦いつつ、収穫しても思ったようには売れなかった。
ジャガイモやにんじんなどといった毎日食卓にあがる野菜とは違い売れる量が少ない。
いくつかの飲食店さんが購入してくれてはいたが、直売所などでは売れなかった。
また、葉物は痛みやすく、流通の面で知識が浅い農業初心者には難しかった。
ミニトマトも無限にできた
そこで、ミニトマト、キャベツなどの比較的作りやすく売りやすい、栽培人気野菜も同時進行でスタートすることに。
初めて収穫したみさきキャベツは、その青々とした美しさに感動して我が子のように一眼レフで撮影大会を行った。
その後、キャベツ中から虫が大量に出てきて、虫嫌いの私は卒倒した。詳しくはvol3に。
ミニトマトができた時は丸い赤い実に「かわいい!」と夫のテンションは上がった。
そして赤だけではなく、黄色、緑、紫などいろんな色のもを作った。
カラフルなトマトが一つの袋に入っている姿に「宝石みたい!」と私も目がハートになったのを覚えている。
そしてこれまた、ミニトマトも次々にできた。
できにできて、二人暮らしの食卓には毎日ミニトマトがのぼった。
食べても食べてもできるミニトマトに私はうなされるようなり、ある日私は叫んだ「ミニトマト!」と寝言で。
起きたら、夫が興奮気味に教えてくれた。
農家の食卓はシェフの気まぐれメニューならぬ、畑の意のままメニューということを知った農家の嫁、1年目。
結局、食卓の権利を奪われたまま、就農初年度は農業での夫の収入はほとんどなく、私が働いた給料と夫が東京のデザイン事務所から受けたデザイン仕事で暮らしていた。
「やっぱり変わったものより、みんなが作っているものが売れるのだ」
ということに気づく頃には、仕事から帰宅する電車の中で「ミニトマト レシピ」を検索するのが日課となりつつあった。
しかしこの後ハーブの中でもマイナーだったコリアンダーことパクチーが、我が家の家計を大きく支えていくことになる。
次回に続く。
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